大阪高等裁判所 昭和52年(行コ)36号 判決 1979年7月19日
控訴人 東山税務署長
訴訟代理人 細川俊彦 小林修爾 ほか三名
被控訴人 山内幸夫
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一申立
一 控訴人
主文同旨の判決
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二当事者の主張、証拠関係
当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
一 控訴人の主張
1 被控訴人は昭和四六年六月八日亡山内国太郎の相続人山内喜一ほか四名から京都市右京区嵯峨広沢池の下町六七番地二宅地一九八・三四平方メートル(本件土地)を贈与され、これを取得したものである。
2 国税通則法一五条二項五号にいう「贈与による財産の取得の時」とは、書面によらない贈与については、単に当事者間の意思の合致のみでは足りず、贈与の履行があつたときと解すべきである。受贈者に贈与税が課されるのは贈与による財産の取得が受贈者の現実の担税力の増加をもたらすからであり、現実的な使用収益処分権能を取得したことが必要である。また、書面によらない贈与は世上取消されることが例外ではなく、贈与契約が成立した段階では受贈者に何ら経済的成果が発生していないのであつて、課税適状は生じていないから、その取消の場合に後日経済的成果が失われたときに過納金の還付を受けうるとする国税通則法五八条五項、七一条二号の規定を適用する余地はない。
質問検査権は納税者に何らかの脱税の嫌疑があることを契機に発動されるにすぎず、外形上課税要件の発生事実、税金不納付の事実の把握しえない段階で行使されることはないし、不申告に対する罰則が自主的かつ正確な申告を担保していると評価できない実情にあるから、これらが書面によらない贈与の存在を知りうる一助となるものとはいえない。
3 本件土地上の建物については、昭和一三年に被控訴人の父山内福蔵名義に所有権保存登記されているけれども、その敷地である本件土地については同人または被控訴人に所有権移転登記手続がされなかつた。被控訴人は昭和四六年六月八日山内国太郎の相続人らから本件土地の所有権移転登記手続に必要な権利証その他の必要書類を入手したのであり、それ以前には山内国太郎の被控訴人に対する贈与の意思は確定的ではなかつたのである。
被控訴人が本件土地の固定資産税を負担したのは昭和四四年一二月以降であり、それも他人の支払うべきものを立替払したにすぎない。また、山内国太郎の遺言書中相続の対象として書かれていなかつたものには、本件土地のみではなく他にもあり、これによつて贈与の有無をきめることはできない。被控訴人や国太郎及びその相続人らには本件土地が被控訴人の所有に属することの明確な認識がなかつたものである。
二 被控訴人の主張
1 書面によらない贈与の場合は契約成立時に財産権が移転しているのであり、本件土地の歴史的経過に照せば、その贈与が昭和四年六月一一日あるいは昭和二三年頃、仮にそうでないとしても遅くとも昭和三〇年六月一五日にされていることは明らかであつて、所有権移転登記の日をもつて贈与の日とする根拠はない。山内国太郎死亡時である昭和三〇年六月一五日以前に被控訴人は地上家屋とともに本件土地を完全に取得し平穏に居住してきており、贈与の履行も終了していて、被控訴人が本件土地の所有者であることは外部的に何人も認識しうる程度に確定的になつていた。被控訴人は本件土地を当然自分のものと考えていたのであり、登記手続費用に困つていてその所有権移転登記を急ぐ特段の必要性もなかつたので、その手続をしなかつただけのことである。
2 租税法は私的経済取引を対象として課税関係を形成し、私的取引の基本法たる民法の概念を基礎として規定しているのであつて、同一概念を別異に解釈するには租税実定法上の根拠が必要であり、この根拠なく同一概念を区区に解釈するときはその場に都合のよい恣意的独断的解釈により課税される虞れがあり、法的安定性をおびやかすことになる。民法の概念に従うことによつて租税法の指導原理にそぐわない結果が生じたとしても、それは立法上の不備という外なく、贈与の事実の認定の困難さは書面によるものであると否とにより異るところはなく、取消しえなくなるまで課税しえないという解釈は相当でない。税法上の課税要件事実たる財産権の経済的価値の移転は民法上によつており、「贈与による財産の取得のとき」を民法上の概念によつて解釈しても課税要因事実として成熟していないとは云えない。
課税原因事実が私人間の法律行為により発生する以上、その法律行為の変動によつて課税原因事実が変動することも止むをえないのであり、贈与が取消された場合には国税通則法五八条五項、七一条二号の適用がある。契約は履行を前提としているのであり、例外的に取消された場合には課税の取消をすれば足り、社会通念上の観念に従つて課税すれば担税力の問題も何ら支障を生じないのであつて、首尾一貫しない便宜的な法解釈は許されるべきではない。
贈与者は受贈者に対して権利証、印鑑証明書等登記手続に必要な書類を交付しない場合もあるのであり、本件では権利証がなかつたのである。国太郎の相続人らが被控訴人に本件土地が贈与されていることを知つていてもその所有権移転登記手続に協力することを快く思わないこともありうることであり、その協力を拒んだからといつて被控訴人に所有権が移転していないことにはならない。
なお、固定資産税を納付していないことは、一般人の常識からみてその所有者たる地位を否定する理由にはならない。固定資産税は登記名義により課税しているから、納付義務者名義は真実の所有者を表わすものではなく、被控訴人は所有者として本件土地の固定資産税を負担していたのである。
また国太郎の遺言書中の相続の対象財産から本件土地が除外されていたのは、被控訴人に贈与されていたからであり、被控訴人が国太郎の相続人らに対し金銭の支払を申し出たのは冗談によるものであつて、仮にそうでないとしても本件土地の所有権移転登記手続に協力してもらうための謝礼の気持によるものにすぎず、所有権移転の対価としてではない。
3 本件土地上の建物について昭和一三年山内福蔵名義に所有権保存登記がされたが、本件土地について被控訴人に所有権移転登記がされなかつたことは認める。
三 証拠関係<省略>
理由
一 控訴人は京都市右京区嵯峨広沢池下町六七番二宅地一九八三四平方メートル(「本件土地」という。)につき昭和四八年九月七日付で被控訴人に対し、昭和四六年度分贈与税の課税価格を三六〇万円、納付すべき税額を九九万五〇〇〇円とする決定処分及び無申告加算税額を九万五〇〇〇円とする賦課決定処分(以上両処分を合わせて「本件処分」という。)をしたこと、被控訴人は同年一〇月四日控訴人に対し本件処分に対し異議申立をしたところ、控訴人は同年一二月二六日付で右異議申立を棄却する旨の決定をしたこと、そこで、被控訴人は国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、同所長は昭和五〇年三月三日付で右審査請求を棄却する旨の裁判をしたこと、本件決定通知書には本件処分の理由として「昭和四六年六月八日に山内国太郎氏より上記物件の贈与を受けられたことについて贈与税の決定をします。」旨付記されていること、しかし、山内国太郎は、これより先昭和三〇年六月一五日に死亡していることは、いずれも当事者間に争いがない。
二 被控訴人は、すでに死亡した山内国太郎から贈与を受けることはありえないから本件決定処分通知書に付記された理由は不当であり本件処分は違法である旨主張する。
よつて按ずるに、右争いのない事実によれば、本件決定通知書の付記理由中贈与者に関する記載に誤りがあることが明らかであるが、右誤謬は本件処分を違法ならしめるものではないと解するのが相当である。その理由は、原判決の理由と同一であるから、その記載(原判決八枚目裏八行目から九枚目裏六行目まで)を引用する。
三 すすんで、本件土地につき贈与契約が締結された時期について判断する。
<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
訴外山内定五郎は、京都市右京区嵯峨広沢池下町五番地に居住し、農業、植木業を営み、長男山内国太郎、六男山内福蔵ほか八人の子がいたが、大正九年三月二六日死亡し、長男山内国太郎がその家督相続をした。国太郎は父の職を継いで農業、植木業を営み、福蔵は国太郎と同居してこれを手伝つていたが、右池下町五番地の家には数世帯が居住して手狭になつたので、国太郎は昭和九年一〇月頃自己の所有する田二畝歩(本件土地)を宅地に造成してその地上に別の建物を建築し、そこへ福蔵の世帯を転居させた。国太郎はおそくとも昭和一三年六月二七日までに福蔵に対し右建物を増与したが、同時に本件土地を福蔵に贈与することはせず、本件土地は福蔵に対し右建物所有の目的をもつて期間の定めなく使用貸しをしたに止まつた。福蔵は右建物につき昭和一三年六月二七日自己の名義で所有権保存登記手続をし、同日国太郎はその所有にかかる本件土地を、福蔵はその所有にかかる右建物を担保(共同担保)として、債権者水瀬清太郎に対し、国太郎と福蔵を連帯債務者、債権額五〇〇円、弁済期昭和一四年六月末日、利息月六厘、支払期毎月末日、損害金月一分、特約利息の支払を怠つたときは期限の利益を失い即時皆済の約とする抵当権を設定し、その旨の抵当権設定登記手続をした。本件土地及び右建物に対する前記抵当権は、昭和二四年三月一〇日に昭和二一年五月一日弁済を原因として抹消登記手続がされた。国太郎は、内心ではゆくゆく本件土地を福蔵に贈与するつもりでいたが、実行しないでいるうち、昭和二三年頃福蔵が当時経営していた不動産仲介業に失敗して借財をつくつたため実行の機会を逸し、結局国太郎は本件土地を誰にも贈与しないままで昭和三〇年六月一五日に死亡した。国太郎は死亡するまで引続き本件土地に対する固定資産税を支払い、国太郎の死亡後は、同人の妻山内キヌが昭和四四年一一月までこれを支払つた。昭和四四年一二月八日以降本件土地の固定資産税は被控訴人が第三者納付の方法で支払つたのであるが、これは福蔵が昭和四四年一一月一一日に死亡したので、福蔵の長男である被控訴人がその所有権を取得すべきはずのものであるとの期待によるものである。
右本件土地上の建物に対し、昭和三七年三月一四日福蔵の債権者金元守の申立に基づいて京都地方裁判所の強制競売手続開始決定があり、被控訴人がこれを競落し、同年九月六日競落許可決定により被控訴人がその所有権を取得し、同年一一月一四日所有権移転登記を経由した。
被控訴人は、国太郎死亡後その相続人妻山内キヌ、長男山内喜一、四男山内圭二、長女岩瀬かよ子、二女久保田みよ子、三女大橋和子に対し本件土地について所有権を移転して貰うための格別の申出をすることもなく過ぎいたが、昭和四六年六月頃被控訴人二男寿雄の商売上の失敗の穴埋めをする資金獲得のため本件土地の一部を分筆して売却する必要にせまられ、その頃死亡したキヌの祭りに親族一同が集つた際、山内圭二に対し国太郎及びキヌの他の相続人四名と相談し本件土地を被控訴人に贈与して所有権移転登記手続をされたい、その対価として被控訴人において国太郎及びキヌの相続人五名に対し金一〇〇万円(一人二〇万円宛)を支払う旨を提案し、圭二が右提案を山内喜一、岩瀬かよ子、久保田みよ子、大橋和子に伝えて五名で相談したところ、右五名の者は、被控訴人の窮状に同情し、本件土地は被控訴人所有の建物の敷地で従来無償使用を認めてきたいきさつもあるので、右提案を承諾することにきめ、登記の日に本件土地を被控訴人に贈与することとし、その旨を圭二を通じて被控訴人に伝え、それぞれの委任状、印鑑証明書等登記に必要な書類を被控訴人に交付した。被控訴人の支払うことを約した一〇〇万円は現在まだ支払われていないが、被控訴人において支払義務があるものである。
被控訴人は本件土地の贈与を受けた日を自己の誕生日とすることとし、昭和四六年六月八日本件土地につき登記原因を昭和四年六月一一日贈与として所有権移転登記手続をし、昭和四六年七月五日本件土地から京都市右京区嵯峨広沢池下町六七番四宅地七三・〇四平方メートルを分筆し、これを同月一〇日呉嵐黙に売渡して同月一七日所有権移転登記手続をした。
以上の事実を認めることができる。<証拠省略>中右認定に反する部分はにわかに採用することができない。被控訴人は国太郎から被控訴人の生れた日である昭和四年六月一一日に、仮にそうでなくても昭和二三年頃福蔵が家出した際に、本件土地の贈与を受けたものであり、仮にそうでなくても国太郎死亡の日である昭和三〇年六月一五日頃国太郎の相続人山内喜一ほか四名から贈与を受けた旨主張するが、右主張事実はいずれも認められず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
以上認定の事実によれば、被控訴人は昭和四六年六月八日国太郎及びキヌの相続人山内喜一ほか四名から贈与により本件土地の所有権を取得したものであることが明らかである。
四 <証拠省略>によると、本件土地の昭和四六年度の固定資産税評価額は七二万円であること、同年度において、大阪国税局長は京都市右京区嵯峨広沢池下町所在の宅地の評価について固定資産税評価額に乗ずる倍率を五・〇と定めていることを認めることができ、右事実によると、昭和四六年六月八日当時の本件土地の課税価格は三六〇万円であるというべきである。
被控訴人が本件土地の贈与を受けたことについて昭和四七年三月一五日までに贈与税の課税価格、贈与税その他政令で定める事項を記載した申告書を控訴人に提出しなかつたことは、当事者間に争いがない。
そうすると、控訴人のした本件処分は違法であつて、その取消を求める被控訴人の本件請求は失当である。
五 よつて、これと異なる原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 川添萬夫 吉田秀文 中川敏男)